起業のメリットは自分の時間をコントロール出来る事。樹木医として樹木の保全と経済的価値向上の両方を実現させていく 株式会社木風 代表取締役 後藤瑞穂様
公開日:2019/1/28 | 最終更新日:2019/4/30
さり気なく日常に存在する街路樹や公園の木々は、「樹木医」の手で守られ、爽やかな景観と人々に安らぎを与えてくれています。今回は、「女性樹木医」として、沢山の樹木と向き合い、人と樹木の共存を支える活動を行う一方、3つの法人代表という経営者の顔を持ち合わせる、株式会社木風 代表取締役 後藤瑞穂様 に起業エピソードとマインド、ご自身の事業についてお伺いをしてきました。
後藤様が樹木医に出会うまでのストーリーを教えてください。
九州の美術短期大学で製図などを勉強していました。その流れで大手の造園会社に就職し、設計部でガーデンデザインとかランドスケープデザインの仕事をしていました。
結婚を機にフリーランスになったのですが、たまたま実家の熊本に里帰り出産で帰省した時に、実家に『樹木医の手引き』という分厚い本があったんです。造園会社を経営していた父が受験しようとしていたのですが、その本に出会ったことで、樹木医になろうと方向転換をしました。
樹木医について詳しく教えて下さい。
文字通り、樹木の健康を守り、弱った木の治療をする樹木のお医者さんです。
元々は林野庁の事業でできた資格で、天然記念物などの大事な保存樹木を守るための専門家を育成するために、1991年に発足しました。その後、小泉政権の時に民間に資格認定が移譲されて、現在は財団法人日本緑化センターが認定資格の試験をやっています。
なぜ樹木医になろうと思ったのでしょうか?
設計とかデザインは好きだったのですが、命を救うとか、そういうことにも関心がありました。
樹木医になって、樹の生理・生態を知ることができれば、ガーデンデザインやランドスケープデザインにも活かせると思ったのが、受験のきっかけです。
思いの外、子育てが大変で、1年目は残念ながら落ちてしまったのですが、翌年、32歳の時に合格することができました。後、熊本県で女性の樹木医が一人もいなかったこともあります。今なれば第一号になれる。「これは何としても合格せねば!」と思いましたね。私、一番が大好きなんです(笑)
それまでのキャリアと樹木医が結びついたということですね。
バラバラだった方向性が統合された思いがしました。
それまでは、周囲を見渡すと見栄えばかり意識して、樹木が健やかに育つデザインになっていないことが多かったんです。南国の木を寒いところに植えて枯れさしてしまったり、組み合わせもバラバラだったり、奇をてらったデザインばかりで、よくないなとは思っていました。
優れたデザインは、その素材が一番生かされる状態でできていないといけないという思いから、これは天職に出会ったと直感し、樹木医の道に入りました。
樹木医の資格を取ってから、起業するまでの経緯をお聞かせください。
資格を取った当時はまだ熊本にいて、父から継いだ造園会社の社長を4年ほど務めていましたが、その頃、離婚したことをきっかけに、父から「自分のための人生を歩め」ということを言われました。
祖母が医師だったこともあり、父も先進的な考えを持っていて、女性も手に職を持つというのが我が家の方針でした。田舎には樹木医の仕事が少ないということもあり、東京に行くことを勧めてくれたのも父です。「お父さん、すごいことを言うな」と私も少なからず驚きましたが、経営者として尊敬していましたし、マーケットのことなどもわかって言ってくれていると思いました。
東京に同期とか、樹木医の知り合いもいて、少しは仕事を回してくれる感触も持てたので、1ヶ月ほどの準備の後、小学4年生の息子と母一人子一人で東京に出てきたんです。
行動が早くてビックリします!東京へ来てからの仕事は順調だったのでしょうか?
これが面白いドラマで、出てきたら出てきたで、樹木医仲間は結構冷たかったですね(笑)。
「遠くのアイドル、近くのライバル」といいますか、一人増えればそれだけ競争が激しくなるわけです。当時、樹木医の仕事はまだ限定的で、役所の仕事が主でした。落札にあたっては、限られたパイの奪い合いなので、新たに来た人は邪魔なんですね。「ライバル増えちゃって嫌だな」とか露骨に言う人もいました。今まで「姫」と呼んでくれていた人が、急に態度が変わったり、本当に掌返しですよ(笑)。
本当に逆境だったのですね。そこから仕事が軌道に乗るまでの経緯をお聞かせください。
仕事がなかなか取れなくて、最初の半年は売り上げが200万円くらいしかありませんでした。持ってきたお金はどんどんなくなっていくし、川に飲まれて息子と二人で流されるような夢を見るくらい不安でしたね。
その時に支えとなったのが「暴れん坊将軍」の松平健さんのエピソードです。松平健さんが売れないときに、師匠の勝新太郎さんに言われていたのが「バイトはするな」「端役は受けるな」という言葉だったそうです。
「ちゃんといい役が来るまではどんなに苦しくても我慢して、修行をしろ」という意味なのでしょう。松平健さんも「もうだめだ」と思いかけた時に「暴れん坊将軍」の仕事が来たそうです。私もギリギリまでバイトや別の仕事はしないと決めて、厳しい時期は、ずっと本やブログを書いて樹木医についての発信を行っていました。
樹木医としての仕事が広がるきっかけとなったエピソードをお聞かせください。
東京に出てくる直前にピカスという、樹を切らずに樹木の腐朽診断ができる機器をドイツから取り寄せました。結構高価だったのですが、日本で私が初めて導入したこのサービスは、まだ樹木の診断依頼という仕事が確立していなかった当時、大きな武器になりましたね。
次の転機は東日本大震災の年です。復興にお金がかかるので、樹木にまで予算が回らないのでは、とすごく不安だったのですが、その時に日経新聞に私が大きく取り上げられたんです。そしてそれを見た、とあるビル運営会社の社長から、鎌倉に所有する森の中にあるレストランの、周りの森の保全をしてほしいという、大きな仕事をいただきました。古都保全地域なので、勝手に樹を植えたり切ったりしてはいけない地域なんです。専門家がきちんと管理したほうがいいだろうという社長の判断で、郷里が同じ熊本というご縁もあり、仕事をさせていただくことになりました。
ステキなお仕事ですね。森を整備した効果はどのようなものでしたか?
事前に1年かけて植生を調査するところから始まり、下草を刈ったり、枯れ枝を除いたり、樹木に蔓が巻いていたらそれを取り、元々の植生が回復するように整備を続けた結果、4年後には売り上げが6〜7倍に増えました。
もちろん社長やスタッフの方々のサービス向上の努力など、総合的な施策の結果なのですが、森や樹を大切に整備することをお荷物だと思っている人が多い中で、樹木を整備することで付加価値が増して、経済効果が高まることを証明できたと思っています。
NPO法人も運営なさっていますが、どのように住み分けていますか?
本業の樹木医としてのお仕事は「株式会社 木風」として活動しています。
その他に、代表理事をつとめております「NPO法人フォーエバー・ツリー・ネットワーク」では、会社の枠を超えて色々な人と知り合いになることで、樹木を守るために助け合う互助システムを作りたくて始めました。
市川八幡神社の御神木の治療ーNPO法人フォーエバー・ツリー・ネットワーク
NPO法人フォーエバー・ツリー・ネットワークの活動の一例として、市川の八幡神社という小さな神社の御神木の治療がありました。私が教えて樹木医に合格した女性から「治療したいけどお金がない」と相談を受けたので、クラウドファンディングで寄付を集めて、ボランティアを募って参加してもらうことで治療を進めることができました。
こういった活動を、今後は企業にも活用してほしいと思っています。「●●株式会社はこの樹木の保全活動に貢献しています」と言えるように、CSRとして使っていただければ嬉しいです。こういった寄付は株式会社では集めにくいので、NPOをもっと発展させて、周りの賛同を集めることで樹木を治療するシステムを確立していきたいですね。
子育てと起業の両立は難しくなかったですか?
比較的大丈夫でした。実は自分で起業して仕事をすると、できる範囲や時間を自分でコントロールする事ができます。逆に勤めていた方が大変だったと思いますね。
うちの場合は他のスタッフも子供がいる事もあって、設立当初からテレワークです。現場も遠いことが多いし、出勤って時間がムダじゃないですか。その時間にカルテを書いてもらったほうがはるかに効率的です。締め切りに間に合って、利益が上がりさえすればいいわけで、そこに時間の縛りは必要ないと思っています。究極の成果報酬型ですね。
今後の展開についてお聞かせください。
樹木を治療し保全をすることと、経済効果を高めることを両立させることが、今のところの経営のテーマです。金融の進歩などで、これからはお金のシステムも変わっていくので、それも視野に入れて、樹木を助けつつ利益も上がる、新しいサービスを作っていきたいですね。利益が上がりやすい投資と組み合わせた樹木の保全と、収益性のあるCSRサービスを構築していく予定です。同時に海外展開も始めているところです。
起業をためらっている人も多いと思うのですが、アドバイスをお聞かせください。
失敗しても死ぬわけではないので、一度なさってみればいいと思います。
巨額の負債を抱えてしまえば別ですが、いくらまでなら出せると決めて、そこまでやればいいと思います。そこで諦めたとしても、何年後かにはまたチャンスが来ます。その時に過去の経験は絶対に生きてきます。
私は、「人生はビンゴゲーム」だと思っています。ストレートにマス目を開けようと思っても揃いませんよね。でも「関係ないな」「面倒くさいな」と思いながらも、来たチャンスをクリアしておけば、後々ダブルやトリプルになることもあるので、とにかくチャンスのマス目を開けておくことが大切です。
最後に起業を志す方にメッセージをお願いします。
起業しても短期で結果は出ないと思います。3年くらいは食べられない覚悟といいますか、その間をしのいで続けることが大事です。
私も「環境の仕事だし、いいことをやっているのだから、お金は後からついてくる」って、ずっと言われていました。お金になるまでのタイムラグは、続けるほど短くなっていきます。人のために尽くすこと、来たチャンスを断らないこと、人の誘いや勧めには乗ることを心がけて、社会のために役に立つという思いを持って続けていくことが大事だと思います。
■株式会社木風 企業・事業紹介
創設者で代表の後藤瑞穂様は、ガーデンデザインの仕事から樹木医に転身。本業である、樹木診断・治療等を手掛ける株式会社木風、恵まれない樹木を守るためのNPO法人フォー・エバー・ツリー・ネットワーク、本業以外のタレント活動や講演活動、執筆活動や樹木治療の為の資材の開発などをしている合同会社KOFUの3社を展開しています。
◆樹木診断・治療等を手掛ける法人
株式会社木風
◆恵まれない樹木を守るためのNPO法人
NPO法人フォー・エバー・ツリー・ネットワーク
◆樹木治療の為の資材開発や 後藤瑞穂氏の講演活動等
合同会社KOFU
住所 〒135-0062 東京都江東区東雲2-7-5-605
お問い合わせ 株式会社木風
*TOPページ下部のお問合せフォームにてお問合せが可能です
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